Celtic Chain       1~02

 

 

 少年の澄んだ、綺麗な瞳が、俺を見据えた。
彼は優しく微笑むと、――綺麗、そう呟いて霞みの中へと消えていった。
俺は炎の中で悟る。

 ――もう向こうには、帰れないんだな。

 何となく、起きたという事実を確認する気にはなれず、布団の中で
まどろむ。しかし、扉から聞こえるノックの音が、それを許してはくれな
かった。
「開いてるから、勝手に入って来てくれ……」
 なぜか気分が乗らない俺は、誰かを確認することもせずに告げる。
「そ、そんな事言わないで下さいよ。朝ごはん持ってるから、両手が
塞がってるんですよー」
 仕方ない、と呟き、重い足取りで扉を開けてやる。
「おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」
「まあ、そうだな。疲れていたのかもしれない」
 ベッドに入ってから今までの記憶が全く無いことから、熟睡はできていた
だろう。
「それはよかったです」
 だが、熟睡できたからと言って疲れが取れるというものでもない。まだ
布団の中に潜っていたいとも思うが、しなければならないこともある。
 寝起きの会話から暫らく、沈黙が支配していた。俺は特に苦痛では
なかったが、ネフは恐る恐る顔を覗き込んで来ては、慌てた様子で視線を
地面へと下ろしていた。その姿には、流石に居心地の悪さを覚える。
「ネフ、少し話したいことがあるんだが、エレインと会えるか?」
 実際に、会って話したいことは色々とあったが、その時に切り出したのは
居心地の悪さから抜け出すためかもしれない。
「そうですね……エレイン様は今日、午前中に予定が入っているだけのはず
です。午後でしたら、空いているのではないでしょうか」
 午後からでも、話はしておいた方がいいだろう。確認をとらないまま時間
が経つと、何があるかわからない。
「わかった、それで頼む。後、これから外に出て少し散歩したいんだが、
構わないか?」
 ここがどういった場所なのか、それを確認しておきたい。この建物以外の
ことを全くわからないのは、今後生活していく上で大きな妨げになるだろう。
「いいと思いますよ。では少し休憩を取ってから行きましょうか。昨日は
城内の案内もできませんでしたから、それと合わせると丁度いい時間になる
と思います」
 薄々予想はしていたが、やはりこの場所は城の中らしい。確かに屋敷にし
ては高度があり過ぎるし、広すぎる。ということはこの建物の中に、国王達
もいるのだろうか。そんな肩書きに緊張するタイプではないが、俺のような
怪しい人間を追い出そうとしないのかと、若干疑問に感じる。
 だが、考えても仕方のない事と見切りを付け、俺は部屋を出た。

 さして興味を引かない部屋をいくつか回った後、俺は図書室へ案内された。
階段を上りきると、そこにあったのはただの壁だ。いや、ただの壁に鏡が
埋め込まれていた。意表を付く面白い配置だが、そこに映る自分の顔は
渋かった。
「この城には、このように鏡が配置された箇所が多くあります。高貴な方が
利用される場所に多いですね。その部屋に入る前に、身だしなみを整える事
ができるよう、考えられたものです」
 俺の顔を見ていたネフが、僅かに微笑みながら説明した。面白くは無かっ
たものの、そのまま角を曲がっていく彼を追って、俺も鏡を横切った。
 そこは、図書室と言うにはあまりに広く、館と名付けた方が相応しい程の
大きさだった。扉を開いたネフも、そのように感じているらしい。
「どうです? ここは世界でも有数の広さを持つ図書室なんですよ。最も、
図書館を含めると、それ程でもないんですけどね」
 これほどの大きさがあれば十分だろう。必要な情報は、ここで全て入り
そうなくらいだ。
「よろしければ、少し見てみますか?」
「いや、これ以上いると長居してしまいそうだ。時間がある時にでも来よう」
 奥の、暗く翳った部分の本棚の雰囲気が、多少気になるが仕方ない。
「わかりました。では、カフヴァール自慢の庭園へご案内しましょう」

 ――青い。
 そんな、単純な言葉しか出ない程、俺は言葉を失っていた。自分の感覚
では、一昨日まで空を見ていたはずだが、そのようには思えなかった。
たった一日だけだったはずだが、もう何日、何ヶ月も部屋の中に篭っていた
ような気分になってしまっていた。
 風が、頬を撫でる。それは心地よく、そのまま眠ってしまいたい程に
心地良い。俺の世界での風は、様々な要因で汚れていたのだと、実感させ
られる。空を仰いで眼を瞑ってしまいそうになるのを何とか堪え、足元に
広がるそれに、意識を移した。
 一面の花畑には、夢見がちな少女でなくとも、きっと魅せられてしまう
はずだ。俺とネフは、花畑の中を伸びる道を木陰まで歩いていき、その陰を
作り出している立派な樹木にもたれ掛かる。
「ネフが自慢したくなる気持ちも、理解できるな……。まさか、これ程とは
思わなかった」
 素直に感想を漏らす。それを聞き、ネフもまた嬉しそうだ。
「僕は、これを見ながら育ちましたからね。この庭園までは、一般の人にも
解放されているので」
 確かにここには庶民の服を着た者達も多い。中には、弁当を持参している
者もいるくらいだ。その中の一人が、俺達に向かって歩いてきた。
「うっす、ネフ。そいつが森を抜けてきたっていう奴か?」
 立ち振る舞いなどからも、庶民としか思えないような男だが、よく見ると
その衣服には質の良い素材が使われており、ネックレスなどを身に付けても
いた。
「あ、メイヴ様。今日もお昼寝ですか?」
 ネフは畏まってはいるものの、ある程度打ち解けてもいるらしい。俺と
初めて会った時程びくついていないことからも、それがよくわかる。
「まあな、こんな天気だ。ホント気持ちがいいぜ。で、結局どうなんだ?」
「はい、こちらの方が森を抜けて来られた、ヴォルグ・スカーサルーグ様
です」
 そう言ってネフは俺を振り向き、掌を向けてきた。森を抜けるという事も、
ここの人々にとっては特別らしい。というよりも、なぜそういう設定に
なっているのかが全くわからない。いい加減、頭がパンクしそうになる。
「まさか、俺以外に抜けてくる奴がいるとは思ってなかったよ。俺の名前は
ファーディア・メイヴ。よろしく頼むぜ、相棒!」
 そう言って手を出してくるファーディアの笑顔は、一点の曇りも無い程に
晴れやかだった。俺はその整った顔の中でも、眼に。特に惹かれていた。
「ああ、よろしく頼む。ここについては殆ど知らないから、色々教えて
くれると助かる」
 握り合ったその手は、見かけによらず無骨なものだった。顔つきからは
想像できないが、通常であれば困難らしい森越えを行った者だ。ある意味
それは当然の事なのかもしれない。
「そんじゃあ、ヴォルグ、ネフ。俺はもう少し寝てるわ」
 そう言ってファーディアは座り込むと、さっさと横になってしまった。
大あくびと共に眼を閉じた彼は、既に夢の中に旅立ったようだ。
「何かよくわからないが、自由な奴なのはよくわかったよ」
 本当に、自由だ。この国にとっては客人であろうから、仕事が無くても
不思議ではない。だが、何かしようとは思わないのだろうか。
「はい。そのような方だからこそ、エレイン様と気が合うのかもしれま
せんね」
 それは、よくわかる。あの破壊思考の持主とファーディアなら、すぐに
意気投合してしまうだろう。気持ちよさそうに眠るファーディアを見なが
ら、苦笑せずにはいられなかった。

*****

「では、そろそろ戻りますか?」
 庭園でのんびりしていると、それなりの時間が経過したらしい。影も短く、
太陽が真上辺りにあることを示していた。
「そうするか。丁度腹も減ってきたことだしな」
「あ、でしたら食堂にご案内しましょうか。半ば下士官専用になっちゃって
ますが、結構美味しいですよ」
 確かに、何時までも部屋に持ってきてもらうのは忍びない。それに、
自分で食べたいものを選べる食堂の方が魅力的でもある。貴族達であれば、
部屋に持って来させる方が自然だろうが、生憎俺は貴族ではない。世界を
転移しようとも、それは変わらない。
 これまでの食事で、食文化にそれ程の違いが無いのはわかっている。
感覚的には、イギリス料理に近いだろうか。多少違和感を覚えるものも
中にはあったが、全体的には、抵抗無く受け入れられる。
 食堂では、人数が多いために食券だったが、味は中堅の料理屋程度では
あった。値段もそう高くは無いのだろうし、これなら人気が出て当然
だろう。
「そういえば、なぜ下士官専用なんだ? 兵達には、また別の食堂でもある
のか」
 雰囲気的には、下士官だけでなく兵士達も利用していそうなものだ。
それだけの人数になると、この広さでは無理だろうが。
「この国には今、兵士はいないんです。十年前から周囲を、越える事の
できない森に囲まれて、完全に孤立してますからね。必要が無いんですよ。
あ、でもあなたやメイヴ様の例もありますから、これからは少しずつ採用
されていくかもしれませんね」
 森はアマゾンのような、途方も無い場所なのだろうか。だが十年前までは
無かったらしい。庭園でも感じたが、『森』とは何なのだろう。
「だから、ここにいるのは全員士官です。内務をこなす人達にも、官位は
ありますからね。無いのは、使用人くらいでしょうか。でも彼女達はこの
時間忙しいですから、一緒になることはありません」
「確かに、そうね。私にも官位はあったはずだから」
「え?」
 突然のその声に、俺達だけでなく近くにいた人間達も皆驚いていた。今、
この食堂内で驚いていないのは彼女、王女エレインくらいのものだろう。
「え、エレイン様!? な、何故このような場所に……」
「いえ、用事が早めに済んだから、ヴォルグを迎えに来ただけだけど」
 やはりこの女の思考回路はおかしい。立場のある人間がこんな場所に現れ
ては、士官達にとっては迷惑千万だろう。
「エレイン……さっさと行くぞ」
 話してわかってくれるとは思えない。なら、早くこの場を収拾するのが
先決だ。

 ――お前も、爆笑している暇があるなら何とかしろ、ファーディア。

 

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