Celtic Chain 1~00
幼少の頃、俺の背中は無数の切り傷で覆われていた。
特に家庭内暴力を受けていたわけではない。本妻や他の妾達に害される母親
を守れもしない一人のガキが、自らの身体にも同じ刻印を残すことで情けなさ
を和らげていただけだ。
母を失った時も、呆然とするばかりで怒りも悲しみも沸いて来ない。
情けなさが、一層増した。
屋敷で、俺は一人になった。
親父も、下手に俺を庇うことなどできない。しかし、十にも満たない俺は、
様々な本を読み、知識を蓄えていった。幸い、ヤクザ業を営んでいた親父の書
斎には、裏社会の理も含めた様々な本が並んでいた。それらの本が、俺と親父
を繋ぐ絆だったと言ってもいい。
本の内容が全くわからず、考えても、考えても答えが出てきはしなかった
あの時からの不思議な関係は、なぜか俺を満たしていた。
「そもそも、十にも満たない子供がそのような本を読むべきではない」
そう言って背後から話しかけた親父に、身体が硬直した。
如何に自分の父親と言えども、ヤクザの頭領に後に立たれて緊張しないわけ
はない。親父は、悲しそうに俺を見つめる。
ヤクザという人種でも人の親だ。自分達の危険な世界に、子供を巻き込みた
くはない。その多くは、自分の職業を隠すものらしい。
もちろん親父程の立場にあれば、隠すことなどできない。それでも異母兄弟達
はよく理解しないまま、楽しく生活している。
「確かにお前は幼いうちに母を亡くし、わしも親としての責任を果たせない。
だが、いざという時には必ず力になろう。だから、せめて今は子供らしく
笑っていてはくれまいか」
そう言って渡された本の表紙には『ケルト神話』。そう、本当に簡素な文字
が並んでいた。
そこには、思いもしないような世界が広がっていた。数々の英雄や空想の
動物などに、俺は瞬く間に引き込まれていった。朝も、昼も、夜も。
俺は神話の世界を冒険し続けた。国土を平定し、姫を守った。
内容を全て覚えるまでになった時、親父は何も言わずに本を渡してくれた。
その後も、俺が満足する頃になったら新しい本が部屋に置いてあった。
いつ頃からか、俺は感想を本に挟み込み、書斎に帰すようになった。
それは、親父が病気がちになるまで続けられた。病気がちになっても、俺は
新しい本を買い込み、それに紙を挟んで手紙を書き続けた。
そしてあの日、呼び出された俺は親父の寝室の扉を開いた。
「―わしにはもう、お前を幸せにしてやることはできないだろう。力になると
いう約束も、果たせそうにない。だがこれでも、鎖を断ち切ってやることだけ
はできるつもりだ」
そう言った親父に渡されたのは、一枚のカードと手紙だった。カードは、
力だった。屋敷を出て生活するのに、十分過ぎる程の金が入っていた。
俺は迷うことなく、寝室を出たその足で屋敷に別れを告げた。
様々な事があった。一つ一つの経験が、今の俺の中で根付いている。屋敷に
いた頃に見聞きしたことや経験の一つを活かして、俺は今四トントラックを運
転している。まどろみながらの運転ではあるが、死ぬ確率なんて数%に過ぎな
い。人口が多いために、数が増えているだけだ。たとえ爆発炎上しても、海に
向かってダイブするのも華があっていい。そんな死に様ならむしろ大歓迎だ。
「―ん?」
延々と続く道路に、不意に異物が紛れ込んだ。それが何であるのかは、すぐ
にわかった。
「思い出に浸ってたら子供ひき殺しましたなんて、洒落にもならない・・・・・・!」
左方向へと急激に向きを変える四トントラック。火花を散らせ、トラックに
意志でもあるかのように必死に少年を避けようとするが、その鈍重な動きでは
とても実現しそうにない。俺がいくらハンドルを切った所で、トラックがそん
な動きをできるわけがない。巨体は左へと進行方向を変えるが、タイヤは道路
を滑りながら直進していく。俺は天秤を思い浮かべて、笑った。この子と俺の
命なんて、比べるまでもない。
火花が車体を燃やす四トントラックは、転倒しながらガードレールへと
突っ込んでいった。
「綺麗・・・・・・」
火を纏い、夜の海へと転落していくトラックの中で、その言葉に少年が生き
ていることを知り、静かに眼を閉じた。
「・・・・・・まあ、いいか」
それが俺の、『この世界』での終わりだった。
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